若き医師の時代

ボクは大学に約2年ほどいて、大阪府立の昔の羽曳野病院へ行く予定でした。しかし、連日の苛酷な仕事で胃潰瘍になっていました。(イチローだってなりましたね)そんなこともあり、もう少し楽な堺市にできたばかりのB病院へ行くように言われました。ボクがいった頃内科医は4人で当然ボクが一番下っ端でした。2ヶ月ほどは外科の病棟を借りて患者さんを診ていました。まもなく外科の1階上の5階に内科がオ−プンしました。全てがまっさらでした。それにしても、1階の医局の中にある半坪ほどの当直室は本当に狭かったですね。当直の夜、呼ばれると5階まで階段を走って上がらねばならない時がありました。(エレベーターが1つしかなかったから)それ以来病室が開いていれば、病室で寝たりしたこともありました。全てのベッドがまだだれも使ったことのないものでした。当時内科のベッドは80床近くあったのですが、入院患者さんは20人ぐらいでした。まだだれも使ったことのないベッドで寝るのはなかなか気分のいいものでした。当直室の圧迫感から考えると快適でした。朝まで熟睡といった日が多かったように思います。古き良き時代でした。
思い出話をもう一つ。
平成1年頃、研修医のF先生が大学から我々の医局に来ていました。私がF先生と一緒に脳外科の病棟に患者さんを診にいったときのことです。その患者さんは気管切開をされ、人工鼻をつけていました。私は診察をしながら、F先生に「これが人工鼻だからよく見ておくように」といいました。素直なF先生は「はい」といい、私の横に立ってじっと見ていました。診察が終わり、私とF先生はナースステーションにもどり、私は脳外科の先生宛に紹介状の返事を書いていました。横で立っていたF先生は私の書く返事を見ながら、「先生、人工鼻って、本当によくできていますね」といいました。「うん・・・・」私は生返事をして、ひたすら紹介状の返事を書きつづけました。しばらくして「先生、毛穴もありましたよ」と言ったので、私はキョトンとしてしまいました。
その後F先生は、立派な呼吸器のDrになられましたが、この人工鼻だけは見たくないようです。