人の幸せ

読売新聞の記事の中に次のような文章がありました。(今日はまじめです)

障害者の雇用拡大に迷いがあった頃、禅寺の僧侶に教えられた。「人の幸せは四つ。愛され、褒められ、役に立ち、必要とされること。働くことで少なくとも三つ手に入るんだよ」と。

ボクは褒められることはあまりないですが、少なくとも何人かに愛され、何人かの役に立ち、何人かに必要とされています。もし、褒められたら幸せになるかと言えば違うような気がします。うれしいですがそれは幸せとはまた違う次元のものです。禅寺のえらい僧侶に反論する気はないですが、彼の言ったのは日本人の一般的な人を対象とした言葉なんだと思います。人の幸せは人それぞれ違うと思います。アフリカで食べ物もなくて死んでいく人たちには、上の四つは当てはまりません。衣食住と身の安全が幸せの条件になります。簡単に「心身の健康だよ」という人もいるでしょう。みんなおかれた環境が違うので幸せの条件がそんな簡単に決まるわけがないと思います。
ボク自身は今まで幸せであったし、何時死んでも悔いはないと思います。それでも衣食住足りて身の安全もほぼ保証されている日本の中で「幸せとは?」何なのか考えるのは難しいです。
齋藤茂太氏の「快老生活」という本のはじめに快老を約束する12箇条というのがあって、そのいくつかが気になりますので書き出してみます。
1,適度なストレスを楽しむ
2,「なんとしても自分は長生きするのだ」という考えを捨てる
3,お酒は飲み過ぎず、タバコは慎む(これはOK)
4,なるべく自動車を使わず、自分の足で歩く(これは失格だな)
他にも8箇条あるのですが、省略します。(ボクには無理なことが多く書かれていますので・・)
1人1人幸せの条件は違うのですから、あまり簡単に言って欲しくないですね。特に宗教家には世界中で多くの人が飢餓や戦争で亡くなっている現状をどう考えているのか聞きたいものです。
安全な日本を飛び出し、そんなところで医療をしたり、農耕を指導している日本人がいることに感動します。そのようなところには宗教家はほとんどいませんが・・・たとえいても仏教徒ではないです。常に餓死や戦争で死と隣り合わせの生活をしている人達の幸せの条件は禅寺の僧侶のいう幸せの条件とは全く違いますね。1人でも多くの人が病気から解放され、1人でも多くの人が飢えから解放されることがその人の幸せなんですね。次元が違いますね。
ボクはこのような人にはなれなかったけれど、もっともっと次元の低いところで自分の幸せの条件を見つけたいものです。