患者さんの思いで(初めての患者さん)

ボクは大阪市立大学の卒後、第1内科に入局しました。当時は研修医制度などなくて、先輩がいろいろなことを教えてくれました。薬の名前などは看護師さんか
ら教えてもらうことも多かったです。自分に担当の指導医としてオーベン(Oben)がいました。しかしボクのオーベンはボクが入局してすぐに新婚旅行に出
かけてしまいました。もちろん代わりのオーベンの先生が決められたのですが、大変お忙しい先生で病棟に来られることはまれでした。
そんなわけでボ
クが初めて主治医となったのは35歳ぐらいの男性で血痰の精査目的で入院されました。名前をSさんとしておきます。レントゲン、CT、肺換気血流シンチ、
肺動脈造影などの検査でSさんは肺動静脈瘻と診断されました。この病気については詳しくは述べませんが、カテーテルで血管を詰めることで出血はしなくなり
ました。めでたしで退院になるはずでしたが、入院中に彼はボクに変なことをいいました。(今では変でもなく当たり前のことなんですが)
つまり、S
さんは結婚して8年ぐらいになるのに子供が出来ないので「それもついでに診て欲しい」といわれました。こんな時にオーベンがいたら心強いのですが、臨時の
オーベンも見つからず、やむを得ず産婦人科の先生に相談しました。そうしたら「精子を採取したらいい」と言われました。
ボクは指示簿(ナースにし
て欲しいことを書くのです。採血やレントゲンなど・・)に「Sさんの精子採取」と書きました。この指示が大変問題になったことは言うまでもありません。
困っているボクにたいして産婦人科の先生が来て説明してくださいました。産婦人科に男性は入院できないので出来たらこの病棟で検査をしたいと言ってくれま
した。ナース達は当時の婦長さんも含めて渋々承知してくれました。それから後も大変でした。
彼はいろいろボクに言ってきました。「個室にして欲しい。」「先生、なんかイヤらしい本持っていませんか?」「今晩、嫁さん呼んでもいいですか?」等々。
ボクは厳粛な病棟をラブホテルのようにした最悪の新米医師のレッテルを貼られました。それが最初のボクの患者さんでした。彼の精子がどうだったかは覚えていません。
今なら不妊外来に行ってもらえばよかったのですが、当時はそのような外来はなかったのです。Sさん、あれから子供出来たのかどうかも知りませんが、当時の姿はよく覚えています。ボクが個室をノックして入ったら慌てて何か本を隠していました。
ボクは名誉挽回するのに、何ヶ月もかかりました。そしてやっとナース達の信頼をえることができるようになったのです。その時にはちゃんとオーベンはそばにいてくれました。
だれでもそうらしいですが、最初の患者さんは忘れることが出来ないらしいです。ボクの場合は特に忘れがたいです。