少年時代(その7)

再び少年時代に戻ります。ボクのいう少年時代は小学1年から中学3年までと自分で決めています。今の中学3年生などもう大人のように見えますが、ボク達の頃の中学3年生の多くはまだまだ、今から見ると子供でした。
ボクが中学3年生の時に担任は英語の先生で、1ヶ月に1度は家庭訪問するという熱心な男の先生でした。彼は40代で眼鏡をかけてポマードいっぱい塗ってオールバックにして、英語の発音が本当にきれいでした。ボクも3年生になった頃クラブ活動(バスケットボール)を終えるとすぐに帰宅して勉強をするようになりました。勉強をしていると担任の先生が、自転車に乗ってボクの家の前まで来て、ボクが勉強をしているのを窓から確認してそのまま声をかけずに帰ることもありましたが、時には「何かわからないところあるか?数学でも理科でもいいぞ」といってくれるのです。多分、今時こんな先生はいないと思います。
その頃友達にはクラブの仲間や小学校からの友達もいました。でも、この頃は本当の親友というものを知りませんでした。しかも、親友が必要だとも思っていませんでした。
この時は初恋のNさんは隣の教室でした。ボクは隣のクラスにも友達がいましたので、教科書を忘れた時などよくその教室に借りに行き、彼女を瞬間で探していました。不思議なことに彼女もよくボクの教室にいろいろなものを借りるために休み時間に来ていました。でも、そんなときでも彼女の視線がボクの方に向くことはなかったです。
Popeyefloorflusher
その頃はボクの隣にはやせっぽちのよく喋べり、よく笑う女の子Kさんがいました。彼女は「オリーブ」というあだ名がついていました。ポパイの恋人のオリーブから取ったのですが、多分痩せていたからでしょう。そしてボクの前の席にはM君がいました。M君のお父さんは恐い人という噂がありました。でも、ボクはそんなこと気にせずに彼とよく遊びました。M君は何度も骨折していました。だから、彼は跳び箱は禁止でした。彼は面白い男で絶えず人を笑わせていました。後ろを向いて面白いことをいうので、ボクもオリーブもよく笑いました。
ある日の理科の授業で座ってる順番に当たりましたが、ボクの前のM君は寝ていました。ボクはもうすぐ当たる直前に彼の背中をつついて起こしました。しかし、先生が「次、M君」といった時、先生の質問は「AかBかCか?」というものでした。ボクはイタズラ好きでしたから、後ろから「エフ、エフ、F」とつぶやいていました。そうするとM君は「Fです」と答えていました。
爆笑が教室を包みました。M君は喜んでいました。自分の答えが間違っているとわかっていても嬉しかったみたいです。
先生は憮然として「君は頭が悪いのか、それとも耳が悪いのか?」と聞きました。するとM君は「耳です」と答えて、再び教室は大爆笑でした。授業が終わってM君は「なんでFで笑われたのや?」と聞いたので、ボクは正直にいいました。すると、彼は笑っていました。
M君とは高校が別々になりましたから、次にあった時にはボクが大学に行っている時でした。彼はすっかりぐれていました。数人の子分を連れていました。でも、ボクだとわかると懐かしがってくれました。それが彼と会った最後です。
再び中学時代に戻ります。隣の席のオリーブは本当によく話す子で、ボクもよく反応していたと思います。いつもいつもボクとオリーブは休み時間に話していました。いつも笑い声が絶えませんでした。彼女はボクがいう冗談でよく肩をたたきに来ました。痛いようにたたくのではなく、細い腕で軽くたたくのです。3学期に入りみんなが寄せ書きなど交換している時に、いつになく真剣な顔をしたオリーブが机の下から何かアルバムのような大きなものをだしてきてボクに見ろというのです。それはボクが集めているような切手ではなく、デパートの売り場にあるような見事な切手ばかりがきれいにそしてたくさん保存されていました。当時の値段にすると大変高価なものでした。今の値段にすると数十万円ぐらいになります。
そして、彼女は「それ、私はもういらないからあげる」といのです。ボクは彼女の真剣な目を見て、いつもの朗らかな彼女ではないことを知りました。
まず、こんな高価なものはもらえないというのが第1にありました。そして万一これがそれ程高価なものではなくとも、ボクには初恋のNさんがいるので彼女に悪いという思いがしました。
結局強く「あげる、あげる」という彼女に対して、周囲にわからないように押し返しました。「絶対受け取れないと・・・」
その日授業が終わってボクは校庭の隅で座っているとオリーブが帰っていくところでした。胸に大きな切手のストックブックを両手で抱えていました。その時彼女の泣き顔が見えました。ボクは胸が痛みました。
この時がボクが女性を泣かした最初だったかも知れません。そして最後だったと思いたいですね。