ちょっと休憩

今まで心に秘めてきた話を一気にはき出しましたので、心は少し軽くなったような気がします。だれにでもあるのでしょうが、ボクは1番心が傷つきやすい時期に体験しました。傷つきやすい時期だったからこそあのような悲劇があったのだと思います。
まだ、少年時代の話も書ききっていません。青春時代は何時から何時までなんでしょう?これも自分の思うままに考えて書かせていただきます。
ボク達の中学・高校時代は丸坊主で、黒の学生服を着て制帽をかぶっていました。だからどこの高校がぱっと見れば分かったのです。
ボクは兵庫2区でしたので旧制2中の兵庫高校でした。兵庫1区は神戸高校(旧制1中)で兵庫3区が長田高校(旧制3中)でした。
ボクが高校3年の時、新しく赴任した漢文の先生は山陽電車に乗って、須磨の方から通っていました。(山陽電車は今は三宮で阪急・阪神電車とつながっています。)
その先生が言うには電車の中で参考書などを見ている生徒はどこの生徒かなと帽子の記章を見てみると、長田高校の生徒さんだそうです。スポーツ新聞を読んでいる生徒はどこの生徒かなと見てみると育英高校の生徒さんだそうです。さて、わが兵庫高校の生徒はどこにいるのかなと探してみると座って眠っているとのことです。この話はよく校風を表しています。
ボクの友達の一人のS君はラグビー部のエースでしたが、昼の弁当は5分ほどで食べ、校庭の大きなユーカリの木の下で毎日30分ぐらい昼寝していました。授業中もよく寝る奴が多かったみたいです。ユーカリの葉がボク達の高校の記章になっていました。