青春時代(その3)

【これは「青春時代(その2)の続きです。】
修学旅行は当時ボク達にとって特別な響きがありました。勉強を忘れて学校から遠く離れたところに友達と行くので、それはなにかウキウキするものでした。みんなその日を待ちわびていました。でも、ボクの親友である中島君は「あまり行きたくない」というのです。そして彼は登校拒否に近い状態になりました。ボクは彼がなぜ学校に行くのがイヤになったのかその時はわかりませんでした。
修学旅行の前にテストがあるので、ボクはテストの少し前に彼の家に行きました。彼は何時もと違ってニコニコしていました。いつもの暗い感じがないのです。そして、黒い革靴を履いて部屋の中を歩いて見せました。「買ってもらった。昨日。」といって素直に喜びを表していました。「じゃあ、修学旅行は行くの?」と聞くと「ああ、行くよ」と言っていました。「そうなのか、じゃあ、試験はすまさないとな・・」とボクは自分にも言い聞かせていました。
そして、彼は翌日から学校にやってきて、試験も終わり、クラスはもう修学旅行のモードに入っていました。仲のいいもののグループがいくつかできて、笑い声がクラス中に満ちていました。ボクも中島君や他の仲のいい友達と計画をいろいろたてました。
そして修学旅行の日が来ました。ボクはカメラを持って、ボクの前にいる中島君の写真をまず1枚目に撮りました。(カメラは父親が買ってくれました)そして九州の長崎・熊本・大分を回る旅行が始まりました。ボクは旅行の間たくさんの写真(と言っても50枚ぐらい)を撮り、その多くに中島君が入っていました。そして中島君にボクの写真も撮ってもらいました。中島君はピカピカの靴を見て嬉しそうでした。
6日ほどで楽しい旅行は終わりました。
共に寝て、共に風呂に入り、隣り合わせのバスの座席に座りボクと中島君の友情はより強固なものになりました。お互いに相手の幸せを願えるようになったと思っていました。
旅行から帰ると、旅行前の試験の発表がありました。それでボクははじめて中島君を抜きました。隣の中島君はボクに言いました。「実力だよ。実力でボクは負けているよ。」と言いました。それに対して、ボクはそんなことはあり得ないと思っていましたから、「そんなことはないよ。今回は中島君が休んだ間に授業でしたところからたくさん出ていたから、実力じゃないよ。実力はまだまだ負けているよ。ボクは神戸大学へ行くつもりだし・・。」と言うと、彼は「実力だよ」と一言言いました。そして彼はまた時々休むようになりました。ボクはまた彼の家に通う日が続きました。そして雑談をするのですが、そんな話の中でも、彼の頭の良さ、知識の豊富さは驚くほどでした。ボクが行くとその次の日は彼は学校へ来るようになりました。でも2学期が終わる12月の半ば頃でしたか、期末テストが始まる前に彼は2週間ほど登校しませんでした。
ボクも自分の勉強が忙しくてだんだん行けなくなってきました。でも、試験を受けるように言うために久しぶりに彼を訪ねました。そこには以前の中島君はいませんでした。彼は寒い部屋の中で膝を抱えて面白くもないテレビを見ていました。そしてボクを見ても反応がなくノートを写そうともしません。ボクは「どうしたん?」と聞くと、「学校、休んでいることを親が知って、怒られたよ」と言いました。そうか、今まで親には言わなかったのかと思いました。両親は帰りが遅く、当然中島君が学校へ行っているものと思っていたのです。
ボクは「来週から期末テストだから来た方がいいよ。中島君なら勉強しなくてもいい成績取れるよ」と言うと、彼は「もう、君には負けているよ。」と言いました。
翌日彼はやって来ませんでした。その次の日もその次の日も・・・試験の前の日も来ませんでした。ボクは試験の前の日勉強をしていると母親が外でひそひそ誰かと話す声が聞こえました。そんな場面は今までなかったので変だなと思いながら勉強を続けました。
そして、期末テストの1日目、学校へ行くと中島君の机の上に花びんがあり、花が生けてありました。その意味さえわからず、他の人に話しかけようとすると、教室の後ろの方で5人か6人の女の子がハンカチを目に当てて泣いていました。ボクは近くにいる子に聞きました。「一体なにがあったんや?」するとその子は「知らんのか?中島、昨日の昼、ガス管くわえて、自殺したんや。」
ボクは何も考えることができませんでした。頭が真っ白になりました。ボクは呆然としていました。そんな状態で英語のテストが始まりました。ボクは反射的に解答を書いていましたが、2枚目の問題があるのに気がつきませんでした。
期末テストはボクにはさんざんでした。テストの最後の日は中島君の告別式でした。クラスで全員参加しました。中島君が霊柩車で運ばれていく中、お母さんははだしになって「ツヨシ・・・ツヨシ・・・」と泣き叫びながら追いかけていました。この光景がボクの心に焼き付きました。そして彼を写した最後の写真をボクが持っているということが、ボクの心にのしかかりました。
あれから40年以上が経って、ボクは何度彼の夢を見たでしょう。中島君のご両親も生きていたら90歳ぐらいです。どんな辛い人生を送ったのでしょう。救えるのはボクしかいなかったと今でも思っています。特待生という重さに負けたのですが、かわいそうです。本当にかわいそうです。助けたかったです。