少年時代(その4)

悲しかった思い出です。ボクが6歳か7歳ぐらいのことだったと思います。ボクは毎日夕方になると、公園の入り口で父親が帰るのを1m四方ぐらいの正方形の入り口の台の上で待っていました。そこは高さが1.5mぐらいあり少し高いので遠くから父親の姿を見つけることが出来ました。そしてそこからは何時も父親と一緒に家まで帰りました。
決して裕福ではなかったけれど、そんなに貧しいとも思っていませんでした。まわりがみんなそうでしたから・・・。
小学5年生のとき学校の先生が「みんなのお家には電化製品がいくつあるかな?」といい、「まず、一つの人?」と聞いてゆきました。ボクは心の中で数えました。この頃はごく一部でテレビを持つ人たちがいて、冷蔵庫や洗濯機もそうだったかも知れません。でも、わが家にはラジオしかないのでそれは一つに入るのかどうか分からないまま・・・先生は「それでは5つ以上の人?」ときいていまいした。そしてその子に「何があるの?」と聞いていました。その子は「テレビにね、冷蔵庫に、洗濯機に炊飯器に・・・・。」といっていまいした。
そして最後に「手を挙げなかった人?」と言いましたのでボクは手を挙げました。もう一人ぐらい手を挙げたと思います。でも、先生は何も尋ねませんでした。ボクは帰る道すがら、「うちにはラジオと半田ごてぐらいだな・・・」と考えていました。そして心は深く傷ついていました。
話が飛んでしましいました。ボクはその先生は最後まで好きになれませんでした。
また6歳の頃に戻ります。父親と帰る道、時々父親が肩車してくれました。父親は無口な人でした。ほとんど話すこともなかったです。でも、ボクは恐い夢を見た時は父親の布団に潜り込みました。
ある日、いつもの公園で待っていると、黄昏時で父親が何か脇に抱えているのが遠くに見えました。ボクはもしかしてと思い、公園の入り口にある台の上から降りて、父親の元に走ってゆきました。すると父親は「ほら、グローブだよ」と言ってボクの欲しかった野球のグローブを渡してくれました。
ボクは嬉しくてグローブにいい型をつけるためひもで縛って寝ました。毎日毎日持って歩くのですが、まだ野球ができる様な環境では無かったのです。せいぜい塀にボールを投げ跳ね返ってくるのを受けるぐらいでした。
そしてそれから1週間ぐらいして、ボクは子供用の自転車の荷台にグローブをくくりつけて走り回っているうちに、グローブがなくなっていることに気づきました。
自分が走った道を探したのですが、見つかりませんでした。そしてその日は父親を迎えにいつもの公園に行けませんでした。生まれて初めて大きな悲しみを知りました。それから数日間、父親の出迎えが途絶えていました。そして日曜日に父親がグローブを買いに行こうと言ってくれ、スポーツ用品店で前に買ったのと同じグローブがあるか聞いてくれました。そして全く同じグローブを買ってくれました。それからはもう大事に大事に使い、それを中学生になるまで使いました。生まれて初めて悲しみを知った時でしょうか?